ショーロクラブ、ブラジルレコーディング日録(2000.2.6)

1/21 24時間かけてニューヨーク経由でサンパウロに到着。ここから2時間後の国内線の便でリオに入る予定だったのだが、何と2時間たっても荷物が出てこず、乗るはずの便は我々を残していってしまった。次の便まで8時間のあいだ、空港にカンヅメ・・・[事件1]。それでもボルテージ上がりっ放しの一行、家を出て40時間後にやっと着いたホテルを後に、飲みにくりだすのでした。
1/22 午前中、今回のブラジル側マネージメントオフィスのデッキ・プロでスタッフミーティング。ちなみに今回のツアー、我々3人以外に、ツアー団長・中原仁、レコーディングエンジニアの森本師匠、ソニー森さん、見物人・比屋定篤子が参加している。デッキ・プロは92年のブラジルレコーディング、95年の中南米ツアーの時のリオ・ライブでもお世話になった事務所。午後は全員コパカバーナのビーチ沿いのレストランで昼食。ここでスザーノ一家と合流。その後ポルトガル語が何とかなる秋岡・中原・笹子の3人を団長にそれぞれ解散。笹子は比屋定を連れてパン・ヂ・アスーカルの丘に登ることになった。ところですっかり忘れていたのだが、笹子は凄い高所恐怖症。丘に登るロープウェイの中で卒倒しかかる。丘の上でも手すりの手前5メートルから先に進めず、比屋定の顰蹙を買ったのでした。
1/23 夜、皆でクアルテート・ジョビン・モレレンバウムのライブを観に出かける。行きのタクシーに乗る時、笹子がドアに手をはさんだ。完全にドアが閉った状態で手が挟まっていたので、日本だったら骨折もの。ブラジルの車は鋼が薄いのでドアがしなった形になり、何とか打撲程度で済む[事件2]。ライブはジャキス・モレレンバウムの独り舞台。特にソロで演奏した「retrato em branco e preto」は絶品であった。ライブ後、楽屋裏を表敬訪問したところ、笹子がストリングスアレンジを頼んだ曲をホメてくれた。あれ、いい曲だね、子供がメロディー覚えちゃってね、と言いながらメロディーを口ずさんでくれたのには感激。帰り、中原組と秋岡組に別れてタクシーに乗る。中原組のタクシーはぼったくりらしく、メーターの上がり具合がやけにはやい。ホテルで我々を降ろすや否や逃げるように車を発進したところ、いきなり暴走トラックがつっこんできてあわや接触。そこで口論となりタクシーが逃げ、トラックは急発進して追いかける。そこに秋岡組のタクシーが到着、仲間の危機を見たとたん逆上、いきなりトラックに向けて短銃をぶっぱなす。一瞬何が起きたか理解できず、全員ボーゼン[事件3]。
1/24 レコーディング初日。スタジオはARスタジオといって、最近ではジョアン・ジルベルトの新譜のレコーディングがここ。宮沢さんの「アフロ・シック」もここで録られたもので、アシスタントも宮沢さんの時と同じタッタさん(日本名カメさん=宮沢命名)。このカメさん、ものすごく人柄のイイ人なのだが、日本のアシスタントとブラジルのそれとでは職掌が違うらしく、日本の常識に照らして言えば、「全く何もしない」。森本師匠が卓の周りを走り回っているのを、ソファーに寝そべりながらニコニコ眺めている。レコーディングの方は、ゆっくりとスタジオ入りし、一曲3人だけによるベーストラック録りをしてみたけれど、まだちょっとカタイかんじ。いつも始めはこうなので、取り敢えず1テイク録ってジョイスを待つことに。昼過ぎにジョイス到着、まず皆で昼食の予定だったのだが、彼女の、きっとすぐ録れちゃうからさきにやっちゃおうよ、との提案で、直ちにレコーディングに入る。曲はジョビンの「ジンジ」。予めショーロクラブアレンジによる演奏の音資料を彼女に送っていたのをきっちりと予習をしてきてくれたようで、たった2テイクでOKテイクが録れてしまった。中原氏や笹子とジョイスとは10年来のおつき合いで、スタジオでも和気あいあいの雰囲気。ショーロクラブとは初めてのセッションだったが、その内容は、ここ数年のジョイスの歌では最高(中原談)と言える程にすばらしいものであった。彼女にとっても満足なデキであったようで、しきりに、ムイントムイントムイント・ボンを連発していた。ジョイスの登場ですっかりほぐれてしまった我々、その後、午前中にトライした曲をもう一度やりなおし、一発でOKテイクを出した。3時半には終了。
1/25 この日はカルロス・マルタ&ピフェ・ムデルノとのセッション。マルタはエルメート・パスコアールのグループのメンバーとして、知る人ぞ知る存在。このバンドはフルート奏者2人とスザーノを含む打楽器3人という編成で、北東部の素朴なフエとタイコのバンドのスタイルを借りつつ、いろいろやってしまうという一風変わったグループである。去年出たCDを聞いて、是非いっしょにやってみたいと思い、今回のセッションが実現した。まずはさっそくマルタと初対面の挨拶をしたのだが、彼は大変フレンドリーな人。今回のセッションのことを大変喜んでくれているようで、曲もすばらしいし、このプロジェクト自体すばらしい、これは日本とブラジルを結ぶ架け橋のようなプロジェクトだ、と、ちょっと恥ずかしくなるほどに誉めてくれた。実際何パターンものフルートのアレンジを考えてきてくれていて、言葉だけではない「やる気」を示してくれる。曲は次の日にジャキスがストリングスをかぶせてくれることになっている曲のベース・トラックと、「ダークダックスに捧げるショッチ」なる笹子作品の2曲。セッション自体はなんの問題もなかったのだが、ブラジルレコーディングにつきものの設備上のトラブルが続発。全体の時間の半分以上が待ち時間という、精神的にはちょっとつらいレコーディングに。それでも5時前には全て終えることができた。マルタとは弦楽器3人とフエとタイコ5人の相性の良さを互いに確認、この夏の彼等の来日時のお互いのライブへの“相互乗り入れ”を約して別れた。

1/26 この日はまずジャキス・モレレンバウムとスザーノとのセッションによる「チェンジャブル・ウェザー」なる沢田作品の録りから。大変ボルテージの高い曲で、まだ朝だというのに、リハ段階から既に全員過熱気味。全員気合い入りまくりで録りにかかる。何の問題も無く11時にはOKテイクを出すことができ、ストリングスが到着するまで休憩。この日の自身の録りはこれで終わってしまった笹子は、既に弛緩モード。スザーノとアイスクリームを食べに外出してしまう。帰ってきた頃にストリングス隊も到着。沢田、午前中に録った曲のストリングス・アレンジについての打ち合わせをジャキスと行う。アレンジは沢田だが、指揮はジャキスにお願いすることになっている。ジャキスの指揮は大変的確、見る間に仕上がっていく。沢田は自分の曲のレコーディングであるにも関わらず、ミーハーおやじと化し譜面そっちのけでビデオを撮りまくっていて、急にジャキスから小節上の質問を受けてあたふたし、皆のヒナンを受ける。それでもあっという間に出来上がってしまい、次は前日にピフェとベーストラックを録った笹子作品のジャキスアレンジ・指揮によるストリングス入れ。これがまた凄いアレンジだった。そんなに大編成なわけではないのに盛り上がってくるようなサウンド、ストーリー性の豊かさ、全てに完璧なアレンジに、ただただ圧倒される。結構長い曲なので時間もかかったが、結局4時前にはストリングスを録り終え、最後にジャキスのソロパートを入れて、この日も4時半には終わってしまった。

夜はホテル近くのレストランで夕食。そこにバンドリン奏者、ペドロ・アモリンが合流。彼は笹子の十数年来の親友で、CD「ショーロクラブ。」へのゲスト参加を始め、ショーロクラブとも何度もセッションをしている。
帰り道、小雨が降っていたので小走りにホテルへ戻りかけたところ、なんでか沢田と笹子が競走になる。40過ぎた日本オヤジが二人、夜中のリオの町をどたばた全速力で駆けていったわけだが、とたん、沢田が転倒。歩道の段差に気付かずにけつまづいたらしく、顔から腕、ヒザとずるむけ状態。ふらふらで立てない程の重傷である[事件4]。そこへ車をまわしてきたペドロが到着。一目見るなり顔色を変えて、薬局へ走っていった。間もなく戻ってきた彼の傷の手当ての見事さ!手早く傷を洗浄し、慎重に傷を捜して(何せ身体中傷だらけ)一箇所ずつ丁寧に消毒してゆく。亜熱帯のリオは雑菌の宝庫で、小さな傷でも放っておくとしばしば大変なことになる。実は彼は体育大学の出身で、救命関係のコースを選択していたそうだ。全ての手当てを終え、アフターケアについての懇切丁寧な指示を与ええてくれたペドロに対し、沢田さん、ふらふらになりながら400ドルを差出し、「こ、これでワシに、バンドリン買うてきてくれえ・・・」全員唖然。
1/27 前夜スザーノとマラカナンにサッカー観戦に行ったソニー森さん、フラメンゴのユニホーム上下を着てスタジオに現れる。これって、東京でジャイアンツのユニホームを着てスタジオに来るのと同じ位ハズカシイことではないか、と、カゲで皆ヒソヒソ。その観戦の帰り、スザーノの車が警官につかまったそうで[事件5]、あんなに神妙なスザーノのカオは見たことがない、とは中原氏の弁。さてこの日のスタジオの方は、スザーノとがっぷり組み合うセッションを一気に4曲。一番大変な内容だが同時に一番普段着的な内容でもあるsuzano.jpg。沢田の手の打撲の後遺症もあって、当所の予定とは違う曲順で始めることになったが、苦労しつつも昼食前に3曲を録り終え、計画よりもはやい進行。残り一曲も何とか録ることができ、パーカッションのカサネに入る。全部終わって時計を見ると5時30分。結局これまでで一番時間がかかったわけだが、考えてみれば今回のブラジルレコーディングの予定曲の約半分をこの日一日で録ったのだから、と納得。
1/28 朝、ホテルでメストリ・アンブロージオのシバを出迎える。30歳位で、まだ少年の面影が残る、知的で真面目そうなヒトだ。何でもサンパウロでのテンポラーダのショーの最中で、前日もこの日もショーがある、とのこと。朝イチでヒコーキに乗ってやってきて、昼過ぎにはまた帰る、という強行軍である。彼は基本的に伝統的な北東部音楽の演奏家・研究家であり、所謂“他流試合”の得意なタイプだとは、彼自身は思っていないようで、実は何をやればよいかよくわからなくて2週間前から不安だった、と一言。なーんにも考えなくてイイの、僕らはあなたの普段の演奏が好きなのだから思ったとおりにやったちょーだい、とノーテンキな返答をすると、ならこっちのペースかな、と、ちょっと安心してくれた模様。彼の使う楽器ハベッカはバイオリンの一種だが、バイオリンより遥かに鄙びたカンジの楽器。おそらくバイオリンが今の形になる前に北東部に土着したものではないか。曲は「ミドリ色のカエル」なる沢田作品で、これがもうしっちゃかめっちゃかな曲。構成としては、伝統的な北東部のハベッカサウンドによる挿入曲を前後に置いてこの曲を挟み込む、という作戦。まず、あなたにこういったカンジの曲を教えてもらって、それを皆で演奏したいんだ、と言いつつメストリ・アンブロージオのレパートリーの中からとびきり土着っぽい曲の名を幾つかあげると、さっそく「カヴァロ・マリーニョ」という伝承曲を弾いて聞かせてくれた。徐々に我々もそれに加わって行き、間もなくイイカンジのサウンドが出来上がる。さっそくテープをまわしてもらったのだが、このテの単純な曲は、入ってしまうとなかなか抜け出せない。実際には1分程しか使わないハズのテイクなのに、えんえん5分近くも演奏を続けてしまった。さて、ホンチャンの「ミドリ色のカエル」のハベッカ入れだが、この曲は真面目にコード等追っていると何もできなくなってしまうという“怪作”。シバもはじめは何とかハーモニーを追おうとして苦労していたが、なーんにも考えなくてイイ、ということに気付いたとたん、みるみるおもしろい演奏を始めた。調整室では秋岡が、ああシバが沢田さんになっていく・・、とつぶやく。やっぱりセンスのあるヒトは何をやらしてもいいことをやるんだなあ、と全員納得。
午前中には全て録り終え、カチャーシーを少し踊って喜びを表現してから、全員で昼食。それにしても彼は女子に人気がある。昼食中も比屋定や途中参加の通訳人渡部さんが、彼のまわりをうろうろして離れない。比屋定等、メストリ・アンブロージオのCDを聞かせた時は、なんだか田舎っぽくてついていけませーん、等と言っていたくせに、今や、シバ素敵よお〜、ツーショット写真撮ってくださーい、と叫んでいる。
一応これで概ね作業が終わったわけで、夜はデッキ・プロのモニカさんがホームパーティを開いてくれた。参加者はデッキのメンバーの他、スケジュールの空いていたジョイスと御主人のトゥチ・モレーノやスザーノ夫妻、ペドロ・アモリン夫妻、それにミウーシャやパウリーニョ・モスカ、フェルナンド・モウラも駆け付けてくれた。夜も相当更けた頃に、ペドロと我々の間で“ミニ・ホーダ・ヂ・ショーロ”が始る。何曲かやったところでジョイスがショーロクラブの「くじらの午睡」をリクエスト、そして我々の演奏に応える形で、出来たばかりの曲を含め数曲歌ってくれた。最後は沢田が、ペドロに250ドルで中古屋から買ってきてもらったバンドリンで、そのペドロをバックに“ヘヴィメタショーロ”の演奏を披露、見事に締めくくって?くれた。

1/29 ホテルを、スタジオ近くのエントレマーレスからリオ中心に近いイパネマのエヴェレスト・リオに移る。さっそく皆、今までできなかった買い物に走る。午後いっぱい買い物を続け、夜はふた手に別れ、秋岡・笹子組はセントロのサラ・フナルチでトリオ・マデイラ・ブラジルのショーを観に、沢田・中原組はアルシオーネのコンサートを観にでかける。トリオ・マデイラ・ブラジルは、オ・トリオが実質的に活動停止状態にある今、ショーロ系アコースティック・ユニットとしては最もレヴェルの高いグループであろう。バンドリンにギター2本という編成は、ショーロクラブや秋岡ー笹子デュオとも近似のものだが、本場ではこれらの編成の音楽を突き詰めると、結局はクラシック的発想に近付いていく、という点が、我々とは決定的に違う部分であるように思った。会場で旧知のカヴァキーニョ奏者、エンヒーキ・カゼスと落ち合い、コパカヴァーナのサンドイッチ屋で歓談。
1/30 夕方、パウロ・セザル・ピニェイロの家で、今回会えずにいたギタリスト、マウリシオ・カヒーリョとやっと再会。あの天才ギタリスト、故ハファエルのお姉さんでパウロ・セザルの奥さんでもあるカヴァキーニョ奏者ルシアーナ、ペドロ等とお互いの最近の録音を披露しあう。最近彼等はアカリ・レーベルなるショーロ専門のレーベルを立ち上げたばかりで、もう録音の終わっているものも数タイトル有り、その中にはマウリシオの作品集(なかなか豪華な内容だ)やペドロのソロ・アルバム等も含む。また新・オ・トリオともいうべき、マウリシオ、ペドロ、そしてサックス・クラリネット奏者ナイロール・プロヴェータ(2年程前ジョイスのメンバーとして来日、彼のバンド、バンダ・マンチケイラはグラミー賞にノミネートされたこともある)による新しいユニットの音録りもすすんでいる。このユニットはこの8月に、歌手テカ・カラザンスを伴って来日することが決まっていて、来れば当然ショーロクラブとのカラミも予想される。来日といえば、7月にはジョイスがマウリシオ、スザーノを伴って来日することも決まっており、我々、この夏はそわそわした日々を送ることになりそう。

我々の今回の作品に対するマウリシオの評:
“今回こんなにお金をかけて、いろんなゲストに来てもらってやっているのに、ショーロクラブ自体の音楽は全然変わってない。そこが凄い。”
秋岡の返答:
“よーするに、おれら、これしかできんのよ。他のこと、やる能力がないもんね。”
まあ、そういうことであろう。

HOME